シャイ夫婦の脱皮

92年世代シャイ夫婦🦏同年代の「人見知り」の味方🌟夫シャイアン:「人見知り」×「リクルート社員」🕊️ 妻シャイ子:「隠れ人見知り」×「旅行好き」🎒

夫シャイアンの人見知り平凡プロフィール(経歴)

初めまして、人見知りのシャイアンです。
某タヌキ型ロボットアニメの「ジャイ○ン」とは無関係です。 埼玉県生まれ、千葉県住みの1992年生まれO型の男です!!
「人見知り社会不適合者」なのに某リクルート社で営業の仕事をしています。

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妻シャイ子作画。コサックダンスではなく座ってるらしい。
そんな僕の人見知りタイプは、、

  • 人の目を気にする
  • 自己肯定感が低い
  • 内弁慶
  • 新しい環境になれるまで1年掛かる
  • 基本年上が苦手(女性も少し苦手)

そんな僕は妻と二人でブログを書いています!!
今回は僕の薄いプロフィールを紹介します。

僕の経歴

生まれたときから人見知り。おとなしくて、泣き虫な子供でした。 幼稚園の時も人見知りで友達があまりいなかったように思います。 ただ小さい時の人見知りは許容範囲のようです。

下から需要のない学生時代から今までの経歴を書いていきます。

ぱっとしない学生時代

少年野球で理不尽を学んだ小学校時代

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少年野球で僕はベンチ
小学校の時の一番の思い出は、「少年野球」です。 プロ野球が好きで、当時は松井秀喜に憧れていたのですが、自分の野球の下手さに驚愕した思い出があります。 そこで早くも理想と現実の違いを学んでしまったような気がしますね。

あと少年野球では、理不尽を学びました。 コーチや監督が親だと問答無用でその息子はレギュラーになるんですよ。 練習もレギュラーが中心。自分が代打でホームランを打った時、それで試合に出れる機会が増えるんじゃないかと期待したけど、何も変わらなかった時の喪失感はまだ覚えていますもんね。
まあ、人見知りで監督・コーチから見ても可愛げがなかったからかもしれませんが。。

バスケ部の優等生でもモテナイ中学時代

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バスケをやる僕より、ボールに戯れる犬のほうがモテる
少年野球に嫌気がさした僕はバスケ部に入ります。まさに弱小で少人数の部活だったので、自分の代の時にはレギュラーになれました。理不尽はなかったので、バスケは人並みにできます。観るのは野球が断然好きですが、やるのは断然バスケが好きです。

地元のおレベルがお低い学校だったので、成績は上位にいました。よく考えたらバスケ部で成績優秀だったのに全くモテませんでした

僕は足も学校で2番目くらいに早かったんですよ!!(←足速いやつって無条件にモテる風潮ありませんでした?)
でもこのときモテてた奴は勉強もできないし、部活もろくにやってないけど、不良っぽいやつですね。 多分僕がモテなかったのは性格が暗くて気持ち悪いメガネだったからだと思います。

人見知りのダメさを知った高校時代

高校は男子校です。男子校ということに若干の抵抗はありましたが、親に

「女の子がいてもいなくても、あんたにとっては一緒よ」

と言われ、悲しくも納得して入学しました。

高校レベルのバスケについていけるわけがないと早々に見切りをつけた僕は、帰宅部で3年間を過ごします。

高校は同じ中学の人が一人もおらず、人見知り抜群で中々友達ができず完全な暗黒期でした。はじめて自分の人見知りのダメさを実感したときかもしれません。

暇なのに勉強をする訳でもなく、高2になって選抜クラスに入れず一般クラスになった時は、本当に取り柄のないダメなやつになったかと思いました。ただそのおかげでクラスが変わり、アホな同級生が多くなり前よりは高校が楽しくなりました。 高3になってから受験勉強を始め、偏差値15くらい上がり、何とか大学に受かりました。

「教えることが好き」と気づいた大学時代

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TEACHよりCOACH
大学時代も同じ高校のやつが一人もおらず、人見知り抜群で苦労しました。サークルも中途半端、勉強も中途半端で、大切な大学時代を無為に過ごしていたと思います。

大学1年の春くらいから塾講師のバイトを始め、自分の好き勝手に授業ができるのが面白く、自分は「人に教えることが好き」なんだと気づきました。今思うとその時の経験が、現在も自分のキャリアを考える上での原体験になっています。そこから大学のゼミにも入ったり、初めての彼女(今の奥さん)もできたりと、ましになっていったかと思います。今となっては本当にもっと色々やればよかったなと後悔が多いです。



ダメ社会人から現在

社会不適合者を自覚した社会人1年目

塾講師のアルバイト経験から教育業界を志望し、塾業界に入りました。ここで学んだことは、2つあります。

  • 業界よりも職種が大切
  • 先が見えてしまうことの恐怖

言葉を選ばずに言えば、教室運営という名の雑用係と、尊敬できない上司に絶望したということです。

ここでも人見知り抜群でめちゃくちゃ苦労しました。入社1ヶ月で転職を決意し、半年後には内定をもらいました。慎重なタイプでよく考えてからじゃないと行動できないと思っていた自分にとって、我ながらこの見切りの速さと行動力には驚きです。

結局は逃げの転職で別の会社に入っても同じことになると、転職はせず続けることを選んだのですが、1年目は仕事もできないし、それどころかやる気もなかったしで、自分は社会不適合者で普通に会社員をやるのは無理だと思ってました。

2年目になって1年経つと仕事にも慣れ、前ほどの嫌さはなくなりましたが、ずっと自分は会社を辞めることを公言していました。 ただ次は失敗できないと会社選びに慎重になりすぎ中々転職できずにいた中で、先輩や後輩が先に会社を辞めていきました。 自分は焦りを覚え、第一志望に入れなくても転職することを決意し、結局2年程で今の会社に転職をしました。

リクルートに転職してから少しマシな人間になった気がする現在

人見知りで社会不適合者なのに、リクルートの営業に転職しました。 理由は3つあります。

  • 営業なら仕事の経験や成果が客観的に評価してもらえる
  • 「教えることが好き」なので、モノではなく人を扱う人材業界ならそれが生かせる
  • 第一志望の会社に落ちたので、リクルートの経歴は転職に有効だと思った

でも入ってすぐに辞めたくなりました。いつもの人見知り全開で、新しい環境が本当に辛い。 でも辞めるわけにはいかなかったんですよ。だってここで辞めたら僕の職歴はもうボロボロ。結婚もしていて、2回目の転職はできない訳ですよ。 ですのでしゃかりきになって仕事をやりました。

・・・というのは嘘で、辞める勇気もなくそこそこにやってました

ただ1年経ってから自分の位置付けが変わりました。自分が仕事のトラブルにまみれていた中で、期中で優しかった同じチームのメンバーが抜け、もうお先真っ暗になったのです。そんな中で「なんで成長するために入社したのに、成長機会を求めないのか」とお節介な先輩に詰められたり、大した成績も残さずトラブっている自分に新人の教育係を任されたりする中で、自分の中でいくつか気づいたことがあります。

  • トラブルの原因を理不尽な相手のせいして、相手の気持ちを理解しようとしていなかった
  • こんな自分のことも気にかけてくれる人がいるありがたい環境である
  • 仕事を任せてもらえる期待してもらえることは自分にとっての成長機会である

それからは同じ仕事をしているのに、自分の中で少し変化がありました。

相手の気持ちを理解するようにしました。チームのことも以前より考えるようになりました。前よりも一派踏み込んで行動することができるようになりました。

そしたら前よりも数字が残せるようになりました。チームの皆んなと仲良くなれました。そしたら前より仕事が嫌じゃなくなりました。

これからブログで伝えたいこと

長々と経歴を書いてきましたが、このブログの目的はタイトル通り「シャイ夫婦の脱皮」です。

と言っても、何も人見知りを完治させようとしているわけではないです。 「人見知り」という性格で生き辛さを感じている自分が、どうすれば人生を楽しくできるかを模索していきます。

同じ悩みを抱えている人はもちろん、人生を楽しくしたいと思っている人の役に立つことを多岐にわたって配信できたらと思っています。要は雑記ブログですね。笑

そしてこのブログは妻と2人で運営していきます。僕一人では更新が高確率で滞りますし、雑記ブログなので何でもありかと思っています。笑

↓↓妻のプルフィールはこちら!!
妻シャイ子の元気いっぱい簡易プロフィール!!! - シャイ夫婦の脱皮

まあそんな感じでよろしくお願いします!!

それでは!!

シャイアン

社会人大学人見知り学部 卒業見込 (ダ・ヴィンチブックス)

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